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よろしくお願いします

 投稿者:待合室管理人  投稿日:2018年 1月 4日(木)17時14分47秒
  hvccさん、今年もよろしくお願いします。
ひとつひとつが貴重な遺構ですね。
 
 

謹賀新年

 投稿者:hvcc  投稿日:2018年 1月 1日(月)07時18分36秒
編集済
  本年もよろしくお願いします。

※画像 北多夫施駅跡(画面右が加世田寄り)

 

ありがとうございました

 投稿者:待合室管理人  投稿日:2017年12月22日(金)17時58分1秒
編集済
  Hvccさん、7回に渡るリポートありがとうございました。
枕崎へ行く楽しみが一つ減ってしまいました。子どもの頃、鹿児島から商品を運ぶために父が運転する車で何度か通った踏切です。その頃に比べると枕崎の町も寂しくなりました。ひとつ、またひとつと、南薩線の痕跡が失われていきますね。
今年もお世話になりました。どうぞ、よい年をお迎えください。来年もよろしくお願いします。
 

南薩線跡訪問 2017晩秋 その7 

 投稿者:hvcc  投稿日:2017年12月17日(日)18時10分4秒
  第7回は上日置から伊集院までをリポートします。


 県道に出て住吉小学校の横を抜け、少し先の上日置駅跡に立ち寄る。
道路沿いに置かれた真新しい案内看板が目を引く。
この種案内看板、さほど興味の無い人でも「何だろう?!」と思うはず。
雨に濡れる上日置駅跡、ホーム上には猪が悪さしたような痕跡も見られた。

 大田地区へと移動し、コンクリート橋を確認する。
構造的には堅牢な工事であろうが、コンクリートも劣化するので、耐震云々を考えたら「撤去せよ」という声も出るだろう。
その先、旧沿線で唯一残る鉄橋の桁(他に残っている桁は開渠)も草で見難くなっていた。

 伊集院に到着。
駅前の工事は継続中で、島津義弘の像が少し動いていた。
地元紙によると、交差点の位置変更に伴う工事で約22m移動したのだとか。
南薩線や貨物線跡地などを転用した広大な駐車場とともに、伊集院駅前も生まれ変わろうとしている。


 これで2017晩秋の訪問リポートは終わりです。
ご覧いただき、ありがとうございました。

画像説明(上から)
①県道の案内看板(加世田寄りを背にして撮影)
②上日置駅跡(加世田寄りを背にして撮影)
③コンクリート橋(画面右が伊集院寄り)
④草で見辛い鉄橋の桁(画面左が伊集院寄り)
⑤伊集院駅前(画面左が加世田寄り)
⑥痕跡が消えた旧駅舎部分を望む(加世田寄りを背にして撮影)

 

南薩線跡訪問 2017晩秋 その6 

 投稿者:hvcc  投稿日:2017年12月14日(木)20時56分43秒
  第6回は吉利、日置から上日置の途中までをリポートします。


 国道に出てトイレ休憩を兼ね、永吉川河畔の物産館に立ち寄る。
橋脚や河岸の橋台など、特に変わっていない。
引き続き吉利駅跡に立ち寄ると、駅前商店は開いていた。
気になったのが駅跡の案内板だが、こちらは状態に関してである。
表面のコーティングが剥離したのだろうか、何れにせよ補修して欲しい。

 雨であったが日置駅跡の加世田寄り、瓦工場の煙突を望む低い築堤に行ってみた。
晩秋の線路跡、個人的には好きな景色だ。
駅跡の端に移設された給水塔の土台部分には案内板が欲しい。
「旧日置駅跡・開業~廃止年月日、蒸気機関車に水を補給した給水塔の下周り部分」程度の簡潔な内容で充分と思う。

 かつての駅前通りを抜けて、定番の「たのかんさー」に立ち寄る。
周囲の田圃は耕されておらず、南薩エリアでも微妙に異なるようだ。
線路沿いに進み、山腹に大規模太陽光発電施設が置かれた少し先、用水路に架かる桁は草で少し見辛くなっていた。

画像説明(上から)
①吉利の駅前商店(画面右が伊集院寄り)
②吉利駅跡の案内板(画面右が伊集院寄り)
③カーブを描く低い築堤(伊集院寄りを背にして撮影)
④日置駅跡(加世田寄りを背にして撮影)
⑤たのかんさー(画面左が伊集院寄り)
⑥用水路に架かる桁(画面左が伊集院寄り)

 

南薩線跡訪問 2017晩秋 その5 

 投稿者:hvcc  投稿日:2017年12月11日(月)21時19分50秒
  第5回は広域農道を経て、薩摩湖までをリポートします。


 阿多を通過して、広域農道に入る。
少し行くと、右手に遊具のような物が見えた。
確かこの辺りはコスモスを植えていたから、秋の来訪者向けに置いたのではないかと想像する。

 南多夫施駅跡に立ち寄ると、駅跡の端付近に工事詰所が設けられ、重機が置かれていた。
駅跡地の工事ではなく、空地を有効活用しているようだ。
案内板が設けられたことは以前にも紹介したが、今回気付いた点がある。
一般的な呼称「金峰山」が、国土地理院の表記云々と但し書きして「金峯山」となっていた。
案内板に地図を出すのならそれで良いが、文章だけならば一般的な記述とするのがベターであろう。

 彼方に金峰山を望む定番の個所に立ち寄ると、周囲の田圃が耕されていた。
この地区の産業祭が催されていると聞き、少しコースを外れて訪問する。
国道沿いにある物産館、その裏手にある「南さつま市歴史交流館 金峰」などを会場に多くの店が立ち並び、なかなかの盛況であった。

 再び広域農道に戻り、北多夫施駅跡に立ち寄る。
こちらの案内板も南多夫施と同様だが、重複は避けよう。
車は頻繁に通るものの、人の気配は皆無だ。

 広域農道の終点近く、伊作川河畔に残る築堤も草に覆われていた。
引き続き伊作駅跡に立ち寄るが、さしたる変化も感じられず、線路跡に沿う形で薩摩湖へと向かう。
薩摩湖は観光開発で賑わった時期もあると聞くが、現在は閑散としており、まさに「夢の跡」という風情だ。

画像説明(上から)
①畑の中に置かれた遊具類(画面右が加世田寄り)
②南多夫施駅跡(加世田寄りを背にして撮影)
③耕された田圃(画面右が加世田寄り)
④北多夫施駅跡(伊集院寄りを背にして撮影)
⑤河畔に残る築堤(加世田寄りを背にして撮影)
⑥薩摩湖(画面右が加世田寄り)

 

南薩線跡訪問 2017晩秋 その4 

 投稿者:hvcc  投稿日:2017年12月 8日(金)06時46分1秒
    第4回は加世田駅跡の展示車両、万之瀬川河畔、知覧線の薩摩白川、花瀬、東阿多などををリポートします。


 訪問2日目、残された時間は半日にも満たず、駆け足で巡ることに。
加世田駅跡を訪れると、バスロータリー内の保存車両、DD1201号の方は塗装の色褪せが目立つ。
屋外の露天に置かれていれば紫外線や雨露など、厳しい自然条件に晒される。
自動車でも車庫内駐車と露天駐車では塗装の痛みも異なる訳だから、洗車やワックスがけなどしないこの種車両はなおさらだ。
現在の場所から動かさないのであれば、多少見え辛くても簡易な屋根を設けるとか、何らかの方策を検討して欲しい。

 住宅地を抜け、万之瀬川河畔に立ち寄る。
工事途中であるが、益山方面への道路は通行可能となっていた。
短い桁が撤去された個所も、片側はコンクリートで固められ、加世田寄りの橋台が名残をとどめるにすぎない。
河岸には橋脚が残されており、万之瀬川橋梁の貴重な遺構である。

 国道橋を渡り、阿多の手前を右折して知覧線に入る。
ここ最近、花瀬までしか行っておらず、久々に少し先まで足を延ばした。
薩摩白川駅跡には案内板が建てられており、駅跡の一部は地元の人が手入れしたように感じられる。
その案内板、使われているのが廃止後の写真だけなのには少しばかり落胆した。
地域内を探す、あるいは広く告知すれば運行当時の古い写真など、何かは見つかると思う。

 引き返す途中、花瀬トンネル付近の工事個所に立ち寄る。
看板には工期が来年1月25日までと出ているが、さほど進んでいるようには見えない。
この付近は複数の道路が交差しており、新たな道路が加わるとなれば、信号機の設置が必要になろう。

 東阿多駅跡に立ち寄ると、地域のみなさんで設置した駅名板が無残な姿を晒していた。
どうやら、支柱がシロアリに喰い荒らされたようだ。
良い雰囲気の駅名板だっただけに、再び設置されることを望みたい。

画像説明(上から)
①バスロータリー内のDD1201号(右)と4号機
②片側だけ残された橋台(画面右が加世田寄り)
③万之瀬川河岸に残る橋脚(加世田寄りを背にして撮影)
④薩摩白川駅跡(阿多寄りを背にして撮影)
⑤工事個所の入口(阿多寄りを背にして撮影)
⑥東阿多駅跡(知覧寄りを背にして撮影)

 

南薩線跡訪問 2017晩秋 その3 

 投稿者:hvcc  投稿日:2017年12月 5日(火)21時03分34秒
    第3回は上内山田、上加世田と内山田の途中区間をリポートします。


 加世田方面へと移動し、上内山田駅跡に立ち寄る。
国道橋から望むと、上内山田駅跡は整地されたような感じた。
住宅、あるいは太陽光発電設備でも造られるのであろうか。
現在整地された個所、かつては相当高く土砂が積まれていた時期がある。
その後、工事で土砂が他所に持ち出され、一時はホームの縁部分が露出するまでになった。
枕崎方面は線路跡の草が枯れて、なかなか良い雰囲気であった。

 国道を走り、内山田の先、線路跡が国道と並行している個所(上加世田~内山田間)に立ち寄った。
自動車販売店の真向かいに、付近の国道沿いでは唯一となった電柱が残っている。
そこから加世田寄りに少し行くと、線路跡の脇に用地杭があり、近くには抜いて転がされたものもあった。
菜の花が咲いており、早春と錯覚しそうだ。
武田川河畔の築堤には相変わらず電柱が踏ん張っているものの、線路跡は背の高い草で覆われていた。

画像説明(上から)
①上内山田跡(枕崎寄りを背にして撮影)
②国道橋から線路跡を望む(加世田寄りを背にして撮影)
③国道沿いの線路跡(加世田寄りを背にして撮影)
④線路跡脇の用地杭(加世田寄りを背にして撮影)
⑤春を思わせる風景(加世田寄りを背にして撮影)
⑥草に覆われた築堤(加世田寄りを背にして撮影)

 

南薩線跡訪問 2017晩秋 その2 

 投稿者:hvcc  投稿日:2017年12月 4日(月)06時52分31秒
    第2回は上津貫、津貫をリポートします。

 国道を少し走り、ホタルとメダカの里団地脇から旧道に入り、上津貫駅跡に立ち寄った。
前回はスルーしたので確認できなかったが、駅跡の案内板が道路脇に設けられている。
草に囲まれた駅前商店は今にも朽ち果てそうだ。
駅舎のあった辺りからホームへのアプローチ部分は土砂で埋められている。
最後まで列車が発着していた側も反対の駅舎側も、ホーム縁部分はかなりの長さを確認できた。
ホームはキハ3~4両分の長さで、枕崎寄りの終端が確認でき、スロープ部分も露出している。
案内板に、「現在、ホームのみが残るが、盛土の中に埋もれている。」と記されており、いささか違和感を覚えた。

 国道に出て少し先の物産館でトイレ休憩した後、津貫駅跡に立ち寄る。
駅跡地の大部分は保育園に変じ、北側の石積み倉庫が最も大きな遺構であろう。
南鉄の遺構ではないが、道路を挟んだ醸造所は南鉄と共に、地域の歴史を伝える存在に違いない。
最近はウイスキーも製造、南九州の醸造元として注目を集めていると聞く。
運動公園の12号機は津貫に移設・修復されるそうであるから、相乗効果で観光客を呼んで欲しいと願わずにはいられない。

画像説明(上から)
①上津貫駅跡の入口付近(加世田寄りを背にして撮影)
②駅前商店(画面の左が加世田寄り)
③ホームの高さまで土が盛られた旧駅舎側(加世田寄りを背にして撮影)
④ホーム端のスロープ部分(枕崎寄りを背にして撮影)
⑤堂々たる風格の倉庫(枕崎寄りを背にして撮影)
⑥駅跡地を占有した保育園(加世田寄りを背にして撮影)

 

南薩線跡訪問 2017晩秋 その1 

 投稿者:hvcc  投稿日:2017年11月30日(木)06時13分2秒
     今年も残り1ヶ月あまり、晩秋の南薩を訪問して来ましたので、順次ご紹介したいと思います。
第1回は運動公園の12号機、上加世田駅跡、枕崎駅界隈をリポートします。



 運動公園の12号機は周囲の桜も落葉し、見え易くなっているものの、さらに腐食が進んでいる姿は痛々しい。
来年には移設・修復の予定と聞くが、部品の欠落も多いので作業は大変と思う。

 引き続き、上加世田駅跡に立ち寄った。。
ホームの周囲も草が枯れていない状態で、その位置からは給水塔も見通せない。
駅跡の払い下げを受け、バス車庫内に保管されている車両などを移して鉄道公園化してはどうかと考える。

 その後は一気に枕崎まで移動し、駅跡の周辺を探索する。
道路工事が始まったという情報は得ていたものの、痕跡が消失しているのを目の当たりにするのは辛いものがある。
しかしながら地域住民の利便性を考えれば、「何でも残せ、現状を変えるな」というのは非現実的であろう。
本来ならスーパーの着工前、あるいは同時的に道路を整備すべきと思うが、そのおかげで踏切跡が長く存在した訳であり、いささか複雑な思いだ。

画像説明(上から)
①修復が待たれる運動公園の12号機
②何処かで見たような解説文が…。
③上加世田駅跡(枕崎寄りを背にして撮影)
④枕崎の工事告知看板(旧枕崎駅舎寄りを背にして撮影)
⑤痕跡が消滅した踏切跡(加世田寄りを背にして撮影)
⑥駐車スペースから道路に変更された線路跡(加世田寄りを背にして撮影)

 

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