世界人類が平和でありますように



キーワード: 宗教 祈り 五井先生


6件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。


[7] 祈りの作用原理(第三部)…その6…

投稿者: 左脳ボーン 投稿日:2013年 7月15日(月)08時03分51秒 nptty404.jp-t.ne.jp  通報   返信・引用

  世界平和の祈りは、実はそれ自体が「目的」である。いや、それはむしろ、これから達成しようとしている《空》よりも、先の方にある《究極の目的》と言ってもいいだろう。その究極の目的を先取りして祈ってしまう。そしてそれによって、言わばその途中経過でもある《空》をもを自動的に実現してしまおうとする。そんなハナレワザを使うのが世界平和の祈りだった訳である。

 この基本原理をしっかりと理解しておくことは、世界平和の祈りの実践をして行く上でも大変役に立つ。

 そこで今回は、この原理について、もう少し詳しく考えてみることにする。

 まず、前回お示しした簡略図をもう一度ご覧頂こうか。





  《業想念》
    ↓
   《空》
    ↓
《世界平和の祈り》



  この図は一体何を意味しているのか?
 わかり易く、もう一度文章化してみた。


『業想念を持った私が《空》になることによって、世界平和の祈りをしている。』


ははは。なんだか変な文章になってしまったな。しかしこれが正しいのである。


 私達が達成しようとしている《空》とは、実は単なる《穴》のことである。《穴》というものには実体が無い。《穴》というのは何も無い部分を表した言葉なのだから当然だ。《穴》というものが認識されるためには、その周りに《穴ではないもの》の存在が必要である。《穴ではないもの》が周りにたくさんあって、しかも、そこに《穴ではないもの》が何も無い部分も存在する。そのような時に、そこに《穴》があると呼ぶ。…のではないかな?そうであろう。そして、ここで言う《穴ではないもの》というのは、五井氏の言うところの《業想念》のことを指している。

 つまり、業想念がたくさんあって雲のように空(そら)を埋め尽くしている時、そこにぽっかりと穴が空いたらどうなるであろうか?そこには太陽の光がサンサンと降り注いでくるではないか。そのような状態のことを単に《空》が実現した、と呼んでいるに過ぎない。したがって《空になる》とは、けっしてその《穴になること》等ではない。穴などになってどうする?楽しくもなんともないぞ!(あな たが、穴になったってつまらない。)そうではない。その穴を空けるとどうなるのか?ということが重要なのである。

そして、その「どうなるのか?」の答え。

それこそが世界平和の祈りなのだ。


 (つづく)




[6] 祈りの作用原理(第三部)…その5…

投稿者: 左脳ボーン 投稿日:2013年 7月10日(水)20時05分25秒 nptty402.jp-t.ne.jp  通報   返信・引用

  《業想念》
    ↓
 《消えてゆく姿》
    ↓
   《空》
    ↓
《世界平和の祈り》

  読者諸氏も既にお気づきだろう。この図はどうもおかしい。なぜならば、これでは、その「手段」と「目的」とが入れ代わってしまっている。

すなわち、当初この論文は、「世界平和の祈りの目的は《空》である。」ことを証明するためにお話していたはずだった。つまり、


  《業想念》
    ↓
《世界平和の祈り》
    ↓
 《消えてゆく姿》
    ↓
   《空》


となるのが普通である。
ところが、実際は違っていた。
実際には、



  《業想念》
    ↓
 《消えてゆく姿》
    ↓
   《空》
    ↓
《世界平和の祈り》



  だったのだ。

これは一体どういうことなのか。理解に苦しむところである。だっておかしいではないか。これを普通の文章に変換し直してみよう。

『業想念が消えて《空》になると、世界平和の祈りをしている。』

何じゃ?これは?全く意味がわからない。

「《空》になると世界平和の祈りをしている」
とはなんだ?!
「世界平和の祈りをすると《空》になる。」
のではないのか?!


いや、

実は、

これは、


正しいのである。


  世界平和の祈りは、実は「手段」であると同時に「目的」でもあるのだ。

いや、「目的」であることを利用して《空》を達成する。まさに、そんなハナレワザを成し遂げるのが世界平和の祈りの一番の味噌であり、また重要なポイントでもあるのだ。




   (つづく)



[5] 祈りの作用原理(第三部)その4

投稿者: 左脳ボーン 投稿日:2013年 7月 8日(月)20時44分48秒 nptty307.jp-t.ne.jp  通報   返信・引用

 前回、提示した五井氏の文章を要約すると、次のような箇条書にすることができるだろう。

----------------------------
(1)人間は本来 神の生命そのものであり、年中、神の叡知や能力が入って来ている。


(2)それを人間は「ああじゃない」「こうじゃない」という想いでふたをし拒絶してしまっている。

(3)だから、それを常に直通する(天地を貫く)生命の波にすればいい。

(4)そのために、「ああじゃない」 「こうじゃない」という想いをなくす。
(→業想念を取っちゃう)

(5)すると、空になる

(6)それが消えてゆく姿である。


(7)消えてゆくに従って《世界人類が平和でありますように》という愛の気持ち、愛の光明波動がそのまま自分の中に残る。

---------------------------




 いかがかな?実に単純な構造である。


 つまり、人間には、年中神の叡知や能力が入って来ているのだから、それを拒絶している「ああじゃない」 「こうじゃない」をなくしさえすれば《空》となり、《世界人類が平和でありますように》という想いだけが残る。それが消えてゆく姿だ、と言っているのである。。

 さらに簡単な図にしてみようか。



《業想念(ああじゃないこうじゃない)》→《消えてゆく姿》→《空》→《世界平和の祈り》


ん?    なにか?

 読者諸氏は、ここで何か重要なことにお気づきのようじゃな。


  そう!   その通り!


この図では、まるで「手段」と「目的」とが逆転してしまっているように見えるではないか!
これは一体どうしたことなのか?


    (つづく)



[4] 祈りの作用原理(第三部)その3

投稿者: 左脳ボーン 投稿日:2013年 7月 6日(土)10時33分32秒 nptty406.jp-t.ne.jp  通報   返信・引用

---------------
『人間は本来 神の分け生命でしょ。 神の生命そのものですね。 年中、神の叡知や能力が入って来ているんですよ。それを人間は業想念でふたをしてしまって拒絶しているわけなんです。それで頭の中に溜まっている蓄電池の想いでもって「ああじゃない」「こうじゃない」とやっているんです。

それを常に直通する、天地を貫く生命の波にすればいいわけです。

そのために、「ああじゃない」 「こうじゃない」という想いをなくす。それが、「空になれ」というお釈迦様の教えだったり、「無為にしてなせ」という老子の教えだったりするわけです。

だからこの業想念を取っちゃうんです。それが消えてゆく姿です。

     …中略…

そうして消えてゆくに従って《世界人類が平和でありますように》という愛の気持ち、愛の光明波動がそのまま自分の中にが残るわけです。』

(『質問ありませんか?』2より P、46~48)
---------------




 いかがであろう。この文章を読むと、《空》になるということの大切さがよくわかる。つまり、「ああじゃない」「こうじゃない」と余計なことを考えたりせず、頭の中をカラッぽにしてさえいれば、人間には、常に神の生命そのもの、神の叡知や能力が入って来る、と五井氏は言っているのである。

  では、どうしたらその《空》、すなわち頭の中をカラッぽにする、ということが実現できるのであろうか。

実はその方法こそが、他ならぬ《世界平和の祈り》である。

ところが、である。
上記の文章の中に、直接的に《世界平和の祈りは空になるためにする》などと書かれた箇所は一カ所も無い。

しかし、世界平和の祈りは、確実に《空》を目的としている。

そのことを説明するために、上記の文章の構造をもう一度詳しく分析してみることにしよう。

大変恐れ入るが同文章をもう一度ゆっくりと読み直してみて頂きたい。


(つづく)




[3] 祈りの作用原理(第三部)その2

投稿者: 左脳ボーン 投稿日:2013年 6月 9日(日)17時39分47秒 nptty301.jp-t.ne.jp  通報   返信・引用

 まず、この先の理論を説明するにあたり、これまでに述べてきた「祈りの作用原理」(第一部)~(第二部)のポイントについて簡単に復習をしておくことにしよう。

まずは、第一部の復習から。

 第一部に於いては、五井氏の提唱した世界平和の祈りというものについて、主にその目的が何なのか、ということについて、その徹底的考察をおこなってきた。そして、そこで得られた結論は、次のようなことであった。

『世界平和の祈りは、空になるためにおこなう祈りである。』

つまり、世界平和の祈りは、何らかの念を出そうとして行うような祈りではない。むしろその逆に「何も思わないこと」=「頭の中をカラッポにすること」=「空」の実現、ということが目的の祈りである。

 これが結論である。

 このことについて、もしかしたら読者諸氏の中には疑問を持たれる方もあることだろう。それも当然である。なぜならば、世界平和の祈りは、(一見)何かの願い事を唱えているかのような言葉で成り立っている祈りだからである。

  世界人類が平和でありますように

  日本が平和でありますように

  私達の天命が完うされますように

  守護霊様守護神様ありがとうございます


ところが、実際には、これは願い事ではない。何かの念を出そうとしている訳でもない。むしろその逆である。「何も考えないこと」(=すなわち空)を達成しようとしておこなう祈りなのである。

  このことに関しては、五井氏自身、その著書や講話の中で明確に述べているし、また、この論文の中でも様々な考察や実験をおこなうことによって、その検証をしてきた。

 例えば、、、


  (つづく)



[2] 祈りの作用原理(第三部)その1

投稿者: 左脳ボーン 投稿日:2013年 5月31日(金)22時02分28秒 nptty404.jp-t.ne.jp  通報   返信・引用

ちーちーぱっぱ~ちーぱっぱ~♪

  すずめのがっこのせんせ~は~♪

だぁ~れがせぇとかせんせ~か~♪

みんなでおゆうぎしているよ~♪



おっほん…

、、、、、

ん?

なんじゃ?

この沈黙は?


はっは~ん…わかったぞ。
さては、読者諸氏は、ワシの歌のあまりのうまさに感動して、ものも言えん…っていうことなんじゃな。


うむうむ。その気持ちはよくわかるぞ。

学問の深さばかりではなく、ワシ自身、このような音楽的才能まで持ち合わせている、ということには、少々驚きを越えてむしろ恐ろしささえを感じている今日この頃なのであるからな。


いや、まあ、そんな話は置いておこう。


なぜならば、未だ、「第二部」に於いて解明途中であった五井氏の「消えてゆく姿」の本質というものについて、これから急ぎ説明しておかねばならないからである。

  (つづく)


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