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幣原首相9条提案の背景

 投稿者:i  投稿日:2016年 9月16日(金)17時36分18秒 zaq3a558393.zaq.ne.jp
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  幣原首相の「9条」提案
 〝反戦平和のうねり結実〟


 幣原(しではら)首相はなぜ、戦争放棄をうたった憲法9条のアイデアをマッカーサーに提案したのでしょうか。
 幣原は1946年3月27日、自身の内閣がつくった「戦争調査会」の開会あいさつで、原爆よりもさらに強力な破壊的新兵器も出現するであろうときに、「何百万の軍隊も何千隻の艦艇も何萬の飛行機も全然偉力を失う」とのべ、「世界は早晩、戦争の惨禍に目を覚まし、結局私どもと同じ(戦争放棄の)旗を翳(えい)して、遥(はる)か後方から付いてくる時代が現れるでありましょう」と述べました。
 幣原は、秘書官だった平野三郎氏による聞き取り(51年2月)に対しても「戦争をやめるには武器を持たないことが一番の保証になる」と述べています。
 一方で幣原は、戦争放棄と天皇制維持をセットで提案したかったが、敗戦から間もない状況で日本側から提案することはできず、「憲法は押し付けられたという形をとった」と説明しています。
 堀尾氏は「今回の新史料を、こうした発言とも重ねあわせると、9条が幣原の発意であったことにいっそう確信が持てると考えます」と言います。
 幣原が、こうした提案をした社会的背景に何があるのか。堀尾氏は平和思想、国内外の反戦の流れを指摘します。
 「日本にはもともと中江兆民、田中正造、内村鑑三らの平和思想があり、戦争中は治安維持法で抑圧されていましたが、終戦で表に出てきて、国民も『戦争はもう嫌だ』と平和への願いを強めていました。国際的にもパリ不戦条約をはじめ戦争を違法なものとする運動が広がっており、外交官でもあった幣原もその流れを十分認識していました。さらに、原爆と戦争の惨禍を体験して、侵略への反省、反戦と平和への希求の大きなうねりが先駆的な憲法前文と9条に結実していったと考えます」
 安倍首相は、今秋から国会の憲法審査会を動かすとのべ、改憲に執念を見せています。堀尾氏はこう強調します。
 「9条は日本国民が求めてきたものであり、だからこそ国民は改憲を許してきませんでした。同時に、憲法の制定過程からも占領軍の押し付けではなく、日本側の提案を受けたものであることが明りょうになっています。世界中が戦乱の危機にあるいまこそ9条の理念を世界に広げ、平和を築いていく方向でこそ議論するべきです。これは憲法前文が求めていることなのです」

憲法制定過程をめぐる主な流れ

1946年1月24日 幣原首相とマッカーサーGHQ司令官が会談
   2月13日 GHQ草案を日本側に提示
   3月6日 日本政府案を発表
   6月20日 帝国議会に提出
   10月7日 成立
   11月3日 日本国憲法が公布
 47年5月3日 憲法が施行
 51年5月5日 マッカーサーが9条は幣原の発案と米上院で証言
 58年12月   高柳憲法調査会長が渡米、マッカーサーと書簡を交わす

( 2016年08月19日,「赤旗」)
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